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昭和38年8月藤沢工場建設風景(現在の4号棟北端を西側から望む)昭和38年5月21日に起工式
(松下精工社内報第69号より) |
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昭和38年9月2日藤沢工場赴任第1陣出発式(大阪駅)
(松下精工社内報第69号より) |
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昭和38年9月21日従業員社宅地鎮祭
(松下精工社内報第70号より) |
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昭和38年10月藤沢工場建設風景(10月1日には第4事業部が発足し日本ではじめて開発した「空気清浄機」がこの新工場で生まれようとしている)
(松下精工社内報第70号より) |
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昭和38年10月31日藤沢工場赴任第2陣出発式(社員クラブ前)
(松下精工社内報第71号より) |
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昭和38年11月4日藤沢工場開所式挙行
(松下精工社内報第71号より) |
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昭和38年11月従業員社宅の完成
(松下精工社内報第71号より) |
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昭和38年12月12日ナショナル空気清浄機初出荷式
(松下精工社内報新春特集第72号より) |
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昭和39年1月1日富士を背景にした藤沢工場
(松下精工社内報新春特集第72号の表紙) |
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昭和39年2月6日高橋社長藤沢工場にこられる
(松下精工社内報第74号より) |
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昭和39年2月職場めぐり(空気清浄機工場プレス班)
(松下精工社内報第74号より)
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昭和39年3月藤沢工場第1回新入社員46名を迎える
(松下精工社内報第76号より) |
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昭和39年4月職場めぐり(空気清浄機工場溶接班)
(松下精工社内報第76号より) |
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昭和39年11月27日エアロマスター初出荷式
(松下精工社内報第84号より) |
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昭和46年冷暖風事業部の新館完成(現1号棟南面)この年の7月1日は創立15周年である
(松下精工社内報(幸風)第155号の表紙) |
ここまで藤沢工場建設当初の様子を社内報の記事で振り返ってみました。
これ以降は平成19年8月末藤沢工場のものづくりが幕をとじた工場の様子です。
(写真H19年8月21日撮影は瀬戸口さん・写真合成は谷本さん)
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松下グループ(右端・旧冷機 中央・旧精工 左端・旧映像) |
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藤沢工場南面(写真2枚合成) |
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守衛所 |
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1・2号棟(旧本館棟) |
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3号棟(旧倉庫棟) |
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4号棟(旧冷暖工場) |
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4号棟1階・資材検収エリア |
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4号棟1階・金型工場から部品加工エリアを望む |
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4号棟2階・完成組立エリア |
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5号棟(旧研究棟) |
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6号棟(旧サービス棟) |
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7号棟(旧大型工場) |
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藤沢工場北面(写真3枚合成) |
加齢と共に海外旅行を企画しても、エコノミーでしか行けない私としてはフライト時間が長いと、ついつい敬遠しがちになってしまうものです。ヨーロッパまで行けるのも今のうちと本年、中欧にトライしてみました。飛行機の中ではエコノミー症候群予防として2時間おきに機内を歩いて水分をたっぷり補給していましたので無事に旅行を楽しむ事ができました(やれやれ)
団塊の世代の少し前を必死で駆け抜けて来た私ですが、定年退職1年前に会社から勤続30年の褒章に旅行券と特別休暇をいただいたので、妻とカナダ旅行をしました。それ以来年に2~3回海外旅行をしてきました。H19年12月、一番の目標であった中・南米14日間の旅をしてきました。長時間のフライトでかなりきつい旅でしたが、今では良い思い出です。今回の旅の概要をまとめてみました。
成田を飛び立って8時間30分、バンクーバーに立ち寄り5時間10分のフライトで最初の訪問国メキシコに到着、時差-15時間、ホテルへ直行。翌日はメキシコシティ観光でした。海抜2240mのためそれほど暑く感じませんでした。 |
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カテドラル(大聖堂) |
月のピラミッド |
太陽のピラミッド |
昼食後、国立人類学博物館を見学、夕食後空港へ。夜中にメキシコを立ち8時間15分かけチリのサンチャゴ空港へ、さらに2時間かけアルゼンチンのブエノスアイレスへ、昼食後市内観光。ブエノスアイレス泊
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翌日早朝ホテルを出発市内の空港へ、約2時間のフライトでイグアス空港へ、空港からはバスでイグアスの滝の入り口まで行きトロッコ電車にのりかへ滝近くまで行きそこからは徒歩で滝見物。 |
イグアスの滝は想像以上に荘厳で特に悪魔のノド笛と呼ばれているアルゼンチンとブラジルの国境となっている部分は水量も多く迫力は満点。またボートツアーでの滝ツボ侵入も圧巻、この日はイグアスのリゾートホテルに宿泊、翌朝はこの旅唯一のゆっくり出発、10時ホテルを出発バスで約10分。アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ三国国境モニュメントを見学。昼食後空路ブエノスアイレスへ、夕食はホテルで自由食。翌朝はホテルで5時に朝食、6時にホテル出発、9時15分ブエノスアイレス発約5時間のフライトでペルーのリマへ昼食後市内観光へ。
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翌朝は午前3時にホテルを出発、5時10分発の飛行機でインカ帝国の首都・クスコへ、所要時間は1時間15分。有視界飛行、クスコは盆地のため午後は視界が悪くなるために早朝の出発となった。到着後ホテルに入り休憩、昼食後クスコ市内観光。 |
夜はホテルで民族音楽のディナーショー翌朝は6時30分にホテルを出発、7時発の高原列車でマチピチユへ、所要時間約4時間
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空中都市マチピチュ映像で見てある程度想像していたが、現実眼下に見たときの感動は想像をはるかに超える神秘的世界であった。この日ホテルに戻ったのは午後9時遅い夕食をとりすぐに就寝。6時バスでホテルを出発一路クスコへ。途中海抜4313mのラ・ラヤ峠で休憩、空気が薄くすぐ息切れ、車中でおにぎり弁当を食べさらにバスは進み古代インカの皇帝達の墓跡「シリウスタニ遺跡」を観光、チチカカ湖へ、チチカカ湖に浮かぶ葦の島「ウロス島」を見学。
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プーノへ、延べ7時間のバス旅でホテルへ、今回の旅の中で一番の高所、何人かは高山病で酸素吸入の世話になっていた。翌朝は4時15分にホテルを出発、プーノ、フリアカ空港からクスコ経由でリマへ、昼食後パンアメリカンハイウェーを南下ナスカへ約7時間。翌日は8時にホテルを出発、近くのちいさな空港からセスナ機で遊覧飛行、地上絵を見学。
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地上絵(ハチドリ) |
地上絵(サル) |
地上絵を横切るハイウエー |
昼食後バスでリマへ7時間の移動。日本食のレストランで夕食。翌朝は9時30分にバスでホテルを出発パチヤカマ遺跡を見学昼食後ホテルに戻り帰国準備、夜中の0時20分帰路のフライト(メキシコ、バンクーバー、経由で成田) |
以前から一度は訪れて見たいと思っていた、中国四川省の九寨溝・黄龍、今年のゴールデンウィークに実現しました。現地のガイドの話によると昨年の四川省の大地震で道路が寸断され、九寨溝・黄龍へは入れなかったそうで空路による震災後初めての観光者だそうでした。ガイドもやっと仕事ができると大喜びでした。
4月29日成田空港を出発、約4時間のフライトで上海に到着、現地ガイドの出迎えを受け国内線に乗り継ぎまた約4時間のフライト、夜中に成都空港に到着バスでホテルに直行、第一日目が終わる。
第二日は4時30分モーニングコールで起こされ5時30分にバスでホテルを出発、成都空港へ、昨日北京空港経由で来た人達とあわせて17名省内線で4000m級の連山上空を40分のフライトで標高3200mの九寨溝・黄龍空港へ到着、機外に出たとたん肌寒さと空気の薄さを実感、バスで2時間かけホテルへ荷物を預けレストランで昼食2卓のテーブルに2本の地ビールが提供された。昼食後バスで九寨溝入り口へ。
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4000mを越える山並 |
九寨溝・黄龍空港 |
地ビール
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九寨溝はV字状の渓谷その合流後の渓谷がY字状になっている、九寨溝入り口からは専用バスでV字下部の樹正賽まで上り、そこから徒歩で双龍海、臥龍海、火花海、芦葦海(ろいかい)、盆景灘と下りそこから専用バスで九寨溝入り口まで戻り、迎えのバスでホテルへ第二日が終わり
第三日目は7時に朝食をとり、バスで九寨溝入り口へ、ゆき、専用バスにのりかえ鏡池を見ながらY字の右最上部、原始林間で上り散策、再度バスで下り箭竹海へさらに熊猫海(パンダ海)まで下り、そこから徒歩で熊猫海瀑布、五花海、孔雀河道まで下り、さらにバスで珍珠灘へ、再度徒歩で珍珠灘瀑布へその後九寨溝唯一のレストランで昼食
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海抜4007mの峠 |
黄龍入り口 |
ロープウェイ |
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五彩池めざして |
黄龍寺 |
五彩池 |
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五彩池 |
五彩池全景 |
雪の黄龍 |
第五日目7時30分バスでホテルを出発、約4時間かけて雅安碧峰峡パンダ研究センターへ、パンダ見学とパンダとツーショット(15,000円)、センターないで昼食をとり、ホテルへもどる
ホテルへの帰途中上里古鎮(少数民族の村)を散策
レストランで夕食を取った後少数民族のショー見学
第六日目成都空港から上海空港経由で成田空港へ帰国。
想像していた通りの素晴らしい旅でした
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